産声が、もう正に歌っていたという。
♪ぅ私バカよね〜おバカさんよねぇーー
というデビュー曲「心のこり」は、子ども心に強烈に印象に残っている。
北海道の真狩村の出身。「まーーっかり村です!」と欽ちゃんの番組で言っていた。
16歳の頃から、クラブで歌っていたという。東京からスカウトの話があった時、お子さんが生まれたばかりだったそうだ。
「こんなチャンスは2度とないから、がんばってきて!」
と奥さんの後押しがあり、売れなかったら1年で帰るという覚悟で上京されたのだそうだ。
「心のこり」の後、荻本欽一さんとの出会いがある。
一度番組中に、前を横切っていいよと言われ、「何だありゃぁ?」という
オチをつけてくれ、何度目かに、新曲を発表させて下さることになる。
「北酒場」は、欽一さんが何曲かの候補の中から選んで下さったのだそうだ。
本番の時に、歌詞のカンペが見えなくて「すみません覚えていません」と正直に言ったら、客席がドッとウケたという。
それから、一節ずつ小出しに毎週歌わせて下さった。
演歌界を明るく改革したという細川さん。
「あ〜ああああ、しょっぱい!」
という、塩入りの歯磨き粉のCMがなつかしいなあ・・。
こどもの頃の生活は、とても貧しかったという。
けれども、苦労を苦労と思わない、明るくて強いお母様だったそうだ。
朝起きると、80センチも積もった屋根の雪下ろし。農家の仕事、家事に子育て
と、お母様は本当によく働いていらっしゃったという。
けれども、心の中は大変だという思いは全くなかったのよ、と美輪さん。
「愛することだけ、何もないの。愛を与えることが喜びだったのよ。
子どもに、とても感謝してね。生まれてきてくれてありがとうっていう思いだけよ。こんな人、いないわよ。」
そうそう、と江原さん
「さっきから笑いながらね、雪おろしが大変だったって言っておられます。そして、一番自慢できることは、家族でテレビに出たことと言われてますよ。
私、そこでピース
しちゃったのよーーって」「明るい人でした。とにかく」
となつかしそうに言われる細川さん。
細川さんの前世は、東北の民謡歌手。目が不自由で桧舞台(ひのきぶたい)に立てずに終わってしまったという。
なので今世は、絶対に歌手になる!と勢いこんで生まれてこられたのだ。
美輪さんが、「あのね、歌手になると強い思いで生まれてきた方は、ノドが
絶対につぶれないのよ。50代になると普通はキーが下がったりするものだけどこの方は全く衰えないのよね。」
「あー、全くつぶれたことはないですね。むしろキーも上がりましたもん」
と、明るく答える細川さん。
正に、歌うために生まれてこられたのだ。
「そして、尺八を吹いていらっしゃる方もおられますね」
と江原さんが言うと、
「あー、それ、じいさんです」
お祖父様は、ご自分の吹く尺八で孫が歌うのをとても楽しみにしていたという。
今、東北の民謡を歌われる時、前世の方とお祖父様と一緒に歌われているという。家族の深い深いあたたかい愛情で育ち、そして生きていらっしゃる細川さん。これからは、後継者を育てて行きたいと明るさの中に闘志を燃え立たせて
おられた。
これからますますお元気に歌ってもらいたい。

よく覚えておいでですねーー!

